モノローグ天井桟敷

ショートでは悲劇ロングでは喜劇    本当はみんなコメディ

笑い三つに泣き一つ

狂言には笑い方が三つあるらしい。(大笑い、中笑い、小笑い)
そして、泣き方は基本的に一つ。

そう教えてくれたのは、狂言方能楽師茂山宗彦。小草若ではない。(笑)
(メジャー動画サイト「狂言を楽しむ」より)

伝統芸能の家元で生まれ育った人だと知ったのは最近のこと。
朝ドラを初めて完走したのが「カーネーション」で、
ちりとてちんを見たのは数ヶ月後だった。
ドラマをそれまでほとんど見ていないので、登場人物がすべて新鮮。

ただ、小草若はどこかで見たことがあるような・・・
そうだ、「カーネーション」のアホボンか。→茂山逸平
違うな、ということでそのままになっていた。

今回、再放送が始まる前にもう一度よく調べてみてびっくり。
なるほど、二人は兄弟か。主役を食うほどに演技が上手い。特に目。
立ち姿や正座、お辞儀の仕方まで綺麗で、身のこなし方もシャープ。
只者でないと感じていた訳に、1年経ってようやく辿りついた。

草々のキャラは単純だが、存在感を出すのは難しい。
一方、小草若のキャラはかなり複雑で、
ある一面がが出すぎても少なすぎても面白みが消えてしまう。
そのバランスが難しいような気がする。

ある時はチャラっぽく、ある時は悩ましく、またある時は繊細に。
そして、「寝床」落語会の舞台はできあがった。

落語では、「寝床」は丁稚の寝場所の意味だった。
このドラマでは、みんなの居場所として使われている。
うどんの切れ端、ねぎの切れ端、お咲。
そして今度は、居場所を無くしていた徒然亭復活の舞台として・・・

小草若はなぜ予定外の寿限無をやり、泣き崩れたのだろう。
そんなことを考えるのは野暮というもの。
「考えるな。感じろ」(ブルース・リー
と今まで思っていたが、ついよけいな詮索を・・・

草若すっぽかし事件の真相を知ったのはきっかけであるが
そのすべでではない。

母親(志保)への思いはずっと変わっていない。
だが、自分に真相を明かさなかったのをどう受け止めたのだろう。
草若とともに芸人魂を貫き、草若の虚勢を知りつつ
そのまま受け入れた母の情の深さに改めて気がついのでは・・・

父親(草若)への思いはかなり屈折している。これは誤解が解けて
すべて解決する分けではない。
草若は、芸人としてまた父親として一つの態度を貫いた。
器の大きさや覚悟の厳しさに圧倒される思いがしたのではないかな。
ただ、これが逆の意味でずっと尾を引くことになる。

小草若は墓前でも涙を流した。そこにあったのはまた「かすみ草」。
供えているのは草若以外に考えられない。父と母は言葉なしでも
心が通じ合っていた。ずっと変わっていない真心に思いを馳せ、
あふれ出した感情を止めることはできない。

ところが、「寿限無」では防波堤そのものが決壊したのだ。
小草若には師匠への敬愛と父親への憎悪が同居していた。
憎悪は誤解が原因で、母親への思いの裏返しになっている。

そのバランスを保っていたもの(意地)が、「寿限無」で
子供に名前をつける親の思いを「自己表出」することにより自壊。

そのサポートとして駆使されたのが、「アイコンタクト」。
それをカメラが丁寧に捉える。

 
この辺りは、脚本、演出、演技の三位一体ベストコラボ。
神回といわれるのはもっとも。

小草若=茂山宗彦は二つの「泣き」をドラマで演じたように思える。
狂言ではどんな泣きを見せるのか。一度見てみたいものだ。

ここまで書いてきて、第7週のMVPはもう決まっているのだが。
長くなったので、続きは次回に。

それでは、また。