二重らせんの構図
今週はツイートを休止して、「ちりとてちん」を初回から見直している。
これで何度目か。数えるのが億劫なわけではないが・・・忘れた。(笑)
たぶん図解すれば記憶に残るのだろうが、そんなことをしたらかえって
ドラマを見る楽しみが減る、などと理屈を並べる今日この頃である。
さて、このドラマを評して「伏線のラビリンス」と言った人がいる。
確かに緻密な伏線が幾重にも張り巡らされていて、
驚嘆することがしばしば。これまで出てきたもの、たとえば、
カセットテープ
石
三味線(タイトルバック)
など第1週から出てきたものは、かなり強力だ。
小物、台詞や表情、衣装やヘアースタイルにも伏線が満載。
だが、こんなことは再視聴するときに楽しめばいい。
このドラマの本当の面白さは、もう少し別なところにあると思う。
たとえば、A子とB子、正太郎と草若、小草若と友春のように
人物像が二重に構成され、反発または協調しながら展開する流れ。
それは直線的ではなく、らせん階段のように廻っていく。
また、現代劇と落語劇の二つを対比させているのも大きな魅力。
落語ネタがドラマの本筋に組み込まれているが、同じではない。
そして、落語劇では演者の別のキャラを楽しむことができる。
小次郎役の京本政樹はそのための出演?
いや、小次郎には他のキャラにはないオンリーワンの役目がある。
落語「辻占茶屋」は知らなかったので、桂文枝(先代)のものを
聞いてみた。分かりやすい語り口で味がある。
気がついたのは、オチ(サゲ)がドラマと異なっていたこと。
文枝では、「風邪ひかなんだか」。
ドラマでは、「娑婆で会うたきりやがな」。
風邪の方は、キヨミが水に濡れて風邪をひいて
カレーうどんを食べたエピと重なる。→落語「かぜうどん」
娑婆の方は、現実と仮想、あの世とこの世の二重性を意識させる。
それは、これからのエピと落語ネタにつながっているかのようだ。
「愛宕山」の一八(太鼓持ち)、「辻占茶屋」の梅乃(商売女)
そして、「ちりとてちん」の糸子(母親)を一人が演じる、
こんなドラマは、古今東西どこにもない。(笑)
それでは、また。